もともと『ハリー・ポッターと賢者の石』の表紙を飾ったことで知られるテイラーは、『マラマンダー』などの児童書を描き続け、イタリアではスタイルやテクニック、AIの脅威について語り合いました。
"こんにちは、僕はナポリで開催された第25回コミコンに参加している。 ハリー・ポッターの話と "不気味な海 "の話をしよう。 参加してくれてありがとう。 まず最初に、あなたのスタイルの変遷についてお聞きしたい。 ハリー・ポッター1作目の表紙絵を描いた時は、もちろんとても若かったね。 その後、あなたは全く違うものに移行していった。 それについて教えてくれないか? ああ、不思議なもので、最初はイラストレーターだったんだけど、今は作家として仕事をしているんだ。 でも、僕にはとても視覚的な想像力があるんだ。 だから、文章を書いているときも、とにかくその絵を読者に届けようと、言葉で絵を描いているようなものなんだ。 そう、僕にとっては全てが繋がっているんだ。 2つあるように見えて、全ては1つなんだ。 わかった。具体的なテクニックは? 伝統的な、完全にアナログなアーティストなのか? デジタルツールに移行したか? そうだね、僕は伝統的なデジタルメディアに移行した。 僕は90年代に美大生として育った。 だから、そういう背景があることは知っているし、そのことに少し戻りたいと思い始めているんだ。 というのも、AIはますますモンスターになりつつあるからだ。 だから、本物の鉛筆で紙に絵を描いたりできることは、実はアドバンテージになると思うんだ。 本物を追求することは、僕にとってますます興味深いことなんだ。 そして、僕はまたデジタルから少し離れていくんだと思う。 最後の質問だが、AIについて聞きたい。 あなたが言ったように、AIはモンスターだと思う。 これは今後に役立つものなのだろうか? それとも、これまで見てきたように、スタイルを盗んだりコピーしたりすることは、あなたやアーティストにとって脅威なのか? ああ、今のところ脅威だと感じている。それが問題なんだ。 僕らがすでにやってきたことをコピー&ペーストして、にじませて、新しいことのように見せているように感じる。 でも、本当は新しいことじゃない。ただ、それを少し変えただけなんだ。 そして、より多くの人々が、真正性が重要であると認識していると思う。 そして真正性は、人間的な努力や鉛筆で自分を探すことによって得られるものだ、 何かを捉えようとすること、現実の世界を描こうとすることだ。 なぜならAIは鉛筆を手に取り、紙に印をつけることができないからだ。 だから、僕にはそれが道だと思えるんだ。 しかし同時に、それは便利なツールでもある。アイデアを整理したり、物事を集中させたりするのに役立つ。 だから、バランスなんだ。バランスを取るんだ。 わかった。メッセージとそれを絵で伝える方法について話そう。 もちろん、ハリー・ポッターと、それが何年も前に子供たちの心をどのように征服したかを比較することはできる。 イリオン・シーやマラマンダーと比較する。 子供たちの心を征服する鍵は何なのか? おお、すごい。絵で子供の心を征服する鍵。 ほとんど不吉だが、言いたいことはわかる。 秘伝のタレだ。 ハリー・ポッターの絵は、僕が美大を出て最初に描いたプロのイラストなんだ。 だから、普通ならその時のことを振り返って、自分の最初の作品について話したがらないだろうね。 でも、それを言うのは気をつけないといけない。 この映像は、彼らの人生のある時期、子供時代、ノスタルジーと強く結びついている。 人々にとって本当に大切なものなのだ。 だから、過去の自分の作品を批判することにはとても慎重なんだ、 イラストレーターは皆、自分の初期の作品は駄作だったと言いたがる。 そんなことは言えない。 でも、ただテキストに忠実であること、本を読むこと、イメージを見つけることだと思う。 そして、自分が描いているものに正直になろうとする。 でも、ストーリーやそういったものに対する感覚は強いと思う。 それを絵や文章に生かそうとしてるんだ。 原作や初期の作品がゴミだったとは言わないだろう。 そして、時が経てば経つほど、その価値は高まっていく。 それで、それについて教えてくれる? このジャケット・アートの仕事を初めて受けたんだよね。 当時はかなり安かった。 その後、時間が経つにつれて価値が上がっていった。 それで、どう感じた? そのオリジナルに起こったことをどう振り返る? ハリー・ポッターと私の関わりで忘れてはならないのは、次のことだと思う。 今となってはとても歴史的なことなんだ。 1990年代のものだ。 そうして私のアートは、アートというより歴史的な芸術品になりつつある。 ギャラリーを見たり、ナポリのコミコンを見たりすると、そう思う、 最近制作された全てのアートを見ることができる、 この美しいアートは、アーティストの手によって本として作られたものだ。 僕の絵は過去のもののように感じる。 特に僕が持ってきたものは、歴史的な芸術品なんだ。 歴史的遺物は価値を増す。 というわけで、まったく普通のことなのだ。 全く気にしてないよ。 なぜ写真を残しておかなかったんだ? なぜ売らなかったんだ? でも、売るために25年間もあの写真を保管しておくことはなかったよ。 もっと早く売るつもりだったんだ。 正直なところ、おそらく失っていただろう。 最も可能性が高い。 もちろん、これはカバーだ。 シモーネやエミリオとも話し合ったんだ、 カバーアーティストのことなんだけど。 ただ言葉を伝えるだけということもあるという点で、とても興味深いと思う。 だから、芸術を解釈し直す必要はない。 カバーアーティストとしてやっていることの中には その中に描かれたものを解釈するんだ。 それがアートだ。 では、あなたは私に、そして若いアーティストに何を語ることができるだろうか? カバーアーティストになることを考えている このような他人の作品の解釈について 自分のタッチを加えようとしているのか? 自分の考えを加えるというのは、いい指摘だと思う。 だから、本に書いてあることをそのまま描けばいい、 ある意味、著者がすでに書いたことを二重にしていることになる。 彼らはすでにそれを言っている。 冗長だ。 同じことだ。 だから、テキストにない何かを見つけようとする必要がある、 本文にないもので、本文を引き立てるのに役立つものを見つける必要がある。 絵になる を追加する。 作家は何かを生み出した イラストレーターであるあなたは、それにさらに手を加えることができる。 そして、良い本の表紙は次のことを伝えるべきだと思う。 どんな気持ちでその本を読むのか。 それを心に留めておくんだ。 どうすればイメージで伝えられるか この本を読んだらどう感じるか は、表紙を作るプロセス全体において非常に重要な部分である。 ハリー・ポッターで成功したか? いや、どうだろう? 今のところはね。 誰もがイエスと言うだろう。 僕は22歳だった。 この本が書かれた年齢とほぼ同じだ。 自分もほぼ子供だと思う。 どうだろう。 カバーアートを描くのは、当時より難しくなったと思う。 今は考えすぎかもしれない。 ビデオゲームのようなメディアでは イラストレーターを見かけなくなった。 ゲームのレンダリングがカバーアートになった。 つまり、何らかの形で失われてしまったのだ。 よし、最後だ。 選手として何をしている? 近い将来、芸術で何を楽しみたい? まあ、新しい本のシリーズがあるんだ。 ペンギン・ブックスからだ。 2、3年後になる。 完成していても、書いてある、 続編を執筆中だ。 発売までには 私はまだ3冊しか本を書いていない。 だから、急遽出ることになる。 これもまた不思議だ、 "海の上の不気味な物語 "のようだ。 舞台は奇妙な小さな町 不思議なことが起こる。 謎もあれば伝説もある。 本当に楽しみだよ。 今のところ『ランタンとラビリンス』というタイトルなんだ。 ランタンとラビリンス。 君はいつも魔法にかかってるみたいだね。 まあ、しょうがないよ。 ああ、どうしようもない。 数年後に出るのが楽しみだ。 本当にありがとう、トーマス。 ありがとう。 ショーを楽しもう。"